歴史的な価値を持つ染織品や貴重な毛皮標本、あるいは数世紀前の絹糸を用いた古文書など、文化財を扱う現場において最も恐れられている天敵の一つがカツオブシムシの幼虫です。彼らは我々人間が「文化」と呼ぶものの多くが動物性タンパク質で構成されていることを知っているかのように、音もなく収蔵庫の奥深くに侵入し、一度定着すればその強靭な食欲で至宝を文字通り「粉」へと変えてしまいます。カツオブシムシ幼虫の恐ろしさは、その驚異的な環境適応能力と、微細な隙間さえあればどこにでも入り込む隠密性にあります。博物館の収蔵庫は通常、温度と湿度が厳格に管理されており、多くの昆虫にとっては生存が難しい環境ですが、カツオブシムシ幼虫は極端な乾燥や低温にも耐えうる生理機能を備えており、わずかな埃や展示ケースの隙間に溜まった有機物を糧に、次の標的へとじわじわと近づいていきます。私がある歴史資料館の害虫管理を任された際、直面したのは、古い絹の着物の合わせ目の奥深くに潜んでいた数百匹のヒメマルカツオブシムシの幼虫でした。彼らは光を嫌うため、表面を点検しただけでは決してその姿を見せません。生地を傷めないよう細心の注意を払いながら、特殊な拡大鏡を用いて裏地の重なりを一枚ずつ確認していく作業は、まさに砂漠の中で針を探すような根気を要するものでした。カツオブシムシ幼虫は脱皮を繰り返しながら成長しますが、その抜け殻に含まれる剛毛がアレルギー反応を引き起こすこともあるため、防護服を着用しての作業となります。駆除においては、貴重な文化財に悪影響を及ぼす可能性のある強力な化学薬品を安易に使用することはできません。そこで採用されるのが、二酸化炭素を用いた燻蒸処理や、マイナス数十度の超低温による冷凍殺虫法です。しかし、これらの処置を施しても、建物全体のどこかに一匹の成虫が侵入し、卵を一粒でも産み落とせば、数ヶ月後には再び幼虫が這い回ることになります。博物館におけるカツオブシムシ幼虫との戦いは、駆除そのものよりも、むしろ「侵入させない」「繁殖させない」ための環境整備に主眼が置かれます。具体的には、外部から持ち込まれる資料はすべて隔離室で検疫を行い、館内の隅々までHEPAフィルター付きの掃除機で清掃を徹底し、さらには職員の靴底に付着した卵さえも警戒の対象となります。カツオブシムシ幼虫が好むのは、動きのない、静止した時間と空間です。私たちは、定期的に資料を動かし、風を通し、光を当てることで、彼らが安住できる「死角」を一つずつ潰していきます。それは気の遠くなるようなルーチンの積み重ねですが、先人が遺した千年の美を、たった数ミリの幼虫の食欲から守り抜くためには、これ以外の方法はありません。文化財保護の最前線において、カツオブシムシ幼虫は単なる害虫ではなく、我々の管理体制の綻びを鋭く突きつけてくる「環境の監視者」でもあるのです。彼らの生態を深く理解し、その生存戦略を先読みすることこそが、歴史を次世代へ繋ぐための不可欠な技術であり、使命であると痛感しています。