登山やハイキング、あるいは近郊の里山歩きを楽しむ人々にとって、自然の中で遭遇する蜂は常に警戒の対象ですが、その視線は往々にして頭上や左右の茂みに向きがちです。しかし、実は山での蜂被害の多くは、私たちが無意識に踏み出している「足元」から始まっています。土の中に巣を作る蜂たちは、登山道という人間が頻繁に行き交う場所のすぐそばに、その本拠地を構えていることがあるからです。特に注意すべきは、整備された道から少し外れた柔らかい斜面や、古い倒木が朽ちて土に還りかけているような場所です。こうした場所は、蜂にとって穴が掘りやすく、かつ適度な保温性があるため、絶好の営巣ポイントとなります。山歩きの最中に、もし地面の一点から何かが湧き出すような違和感を感じたら、それはすでに蜂の警戒範囲に踏み込んでいるサインです。クロスズメバチなどは、巣の入り口付近を通過する動物の振動を敏感に察知し、即座に攻撃部隊を送り出します。地上にある巣の場合、私たちは巣の姿を目にすることで事前に危険を察知し、回避行動をとることができますが、土の中の巣は、文字通り「地雷」のような存在です。一度踏み抜いてしまったり、その真上で立ち止まって休憩したりすれば、足元から数十、数百の針が一斉に襲いかかってきます。山の中で土中の蜂に襲われた際、パニックになって走り回るのは、さらなる被害を招く原因となります。周囲の茂みには別の巣がある可能性もありますし、山道での転倒や滑落は、刺傷被害以上に深刻な事故に繋がりかねません。まずは、刺された場所から速やかに、しかし可能な限り冷静に離れることが鉄則です。蜂は自分の巣から一定の距離までは執拗に追いかけてきますが、その追跡範囲を抜ければ攻撃を止めます。また、山へ行く際の服装も、足元への意識が重要になります。肌の露出を避けるのはもちろんのこと、黒い靴や靴下は蜂を刺激しやすいため、白や明るい色の装備を選ぶことが推奨されます。さらに、香水や整髪料などの強い香りは、蜂を誘引し、攻撃性を高めるトリガーとなるため、自然の中に入る際には控えるべきです。もし、山道で地面に奇妙な穴を見つけ、そこを蜂が忙しく出入りしているのを確認したら、それは後続の登山者にとっても極めて危険な情報となります。自治体や森林管理署に報告することで、注意喚起の看板が設置されるなど、被害の拡大を防ぐことができます。山というフィールドは、私たち人間だけのものではなく、土の中に家を構える蜂たちにとっても大切な生活の場です。彼らは理由もなく人間を襲うのではなく、あくまで自分の家と家族を守るために戦っています。その防衛本能の激しさを理解し、足元の土壌に対しても敬意と警戒心を持って接することが、山での楽しいひとときを悲劇に変えないための、登山者としての最低限のマナーなのです。