それは夏の終わりの夕暮れ時、ふとした拍子に開けていた窓から、一匹のアシナガバチが私の部屋へと迷い込んできました。当初、私はその羽音の大きさに恐怖し、何とかして追い出そうと躍起になりましたが、蜂はパニックに陥り、天井の隅や照明の周りを激しく飛び回るばかりでした。殺虫剤を手に取ることも考えましたが、その小さな命が必死に出口を探している姿を見ているうちに、ふと蜂の寿命について思いを馳せるようになりました。蜂という生き物は、一年のうちのわずかな期間だけを謳歌し、その短い生涯を巣のために捧げます。この部屋に入ってきた蜂も、おそらくは羽化してからまだ数週間も経っていない働き蜂なのでしょう。野外の自然の中でなら、仲間と共に獲物を狩り、夕暮れには自分たちの城へと帰るはずだった存在です。しかし、家の中というこの不自然な空間に入り込んでしまったことで、この蜂の本来の寿命は大幅に削り取られることになります。私は、蜂が少し落ち着くのを待ち、部屋の明かりを消して窓を大きく開け放ちました。しかし、蜂は夜の気配を恐れたのか、カーテンの裏に静かに留まったまま動かなくなりました。その夜、私は蜂と同じ空間で眠りにつきました。翌朝、様子を見てみると、蜂は昨日ほどの勢いはなく、床の上を力なく歩いていました。家の中には水も蜜もなく、彼らにとっては砂漠のような場所です。調べてみると、室内に入り込んだ蜂は、水分と栄養が補給できなければ二日と持たずに寿命を迎えてしまうそうです。昨日、威風堂々と空を舞っていたあの力強さはどこへ行ったのかと思うほど、蜂の衰弱は早いものでした。私は少しの砂糖水を用意して近づけましたが、蜂はそれを飲む気力さえ残っていないようでした。結局、その蜂は私の部屋に来てから三十六時間後、窓際のカーテンレールの上でひっそりと動かなくなりました。その死に顔がどのようなものかは分かりませんが、本来なら野外で仲間と共に迎えるはずだった最期を、この冷たい部屋で迎えたことに、少しの寂しさを感じずにはいられませんでした。蜂の寿命は人間からすればあまりに短いものですが、その限られた時間を、彼らは実に濃密に生きようとします。家の中に迷い込むという悲劇がなければ、その蜂はあと数週間は生きて、巣を支え続けていたことでしょう。一匹の蜂の死を通じて、私は生命の儚さと、私たちが住む家という場所がいかに野生の生き物にとって過酷な環境であるかを痛感しました。短い寿命を全うできなかったその蜂への、せめてもの弔いとして、私はその小さな亡骸を庭の土へと返しました。